『佐賀県近世史料』に収載予定の「自警」について(№1)

2013年01月01日

 佐賀県立図書館 at 11:20 | Comments(0) | 佐賀県近世史料
 今年度刊行予定の『佐賀県近世史料』第8編 思想・文化編の第4巻「古賀穀堂」については、前回(8月20日付)お知らせしたところですが、今回は、当巻収載予定資料の中から、古賀穀堂が若いころに著した「自警(自らをいましめる)」をご紹介したいと思います。

古賀穀堂
(『古賀穀堂先生小伝』より転載)

 穀堂の父である古賀精里は、寛政8年(1796)江戸幕府の求めにより、昌平坂学問所の御儒者として江戸へ上ります。3男の煜(アキラ)〔侗菴(トウアン)〕は、父の後継者として江戸へ随行することになりますが、長男の穀堂は家を継ぐために佐賀に残り、老祖父母の面倒を看ることになります。時に20歳。
 翌寛政9年祖父良忠は病死し、2年後には祖母も亡くなります。同10年、祖父の喪を終えた穀堂は、父と弟がいる江戸へ遊学することになります。
 この「自警」は、こういった環境の中、彼が自らの戒めとして、また将来に対する抱負として、20代後半に書き綴ったものです。原文は漢文体ですが、幸い佐賀県図書館 第3代館長の西村謙三〔大正9年10月~昭和4年4月在任〕が、自らの著書『古賀穀堂先生小伝』の中で、この「自警」の解説をされています。西村館長の言葉を借りて、読みやすいように若干手を加えながら、ご紹介していきます。
 なお、この「自警」は7項目に分けて書かれており、このブログでも数回に分けて掲載したいと思います。

○自警
■自警之一
接凡流、鈍漢、傲吏、褊人、亦和厚謙譲、下気、安言、勿驕惰、勿愠懟、勿侮詈、澹然無一毫不平之気、若夫横逆之来、如蚊虻過前、不校、不争、笑而不屑
(「不屑」とは孟子の言葉、教えずして自ら啓発すること)

【解釈】
 穀堂は客を好み人に接することが多かった。すなわち自警の第一に「接客の法」を掲げて、自らを警めた。曰く、
 凡人にせよ鈍物にせよ同じく人である。決して傲慢であってはならぬ。惰容であってはならぬ。傲吏、褊人、これは人たるの道を知らぬ憐れむべきものである。先方の態度に怒ってはならぬ。怨んではならぬ。侮蔑の言を用いてはならぬ。もし横逆の事があっても、あたかも蚊・虻が自分の前を通過するのと同一視し、敢えて抗争してはならぬ。是が謂わずして教うる不屑の教えである。勉むべきは和厚謙譲にして気を下し、優しき言を用い澹然として、一毫の不平なきことである。

近世史料


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