「軍師官兵衛と鍋島家との関わり~『佐賀県近世史料』からみる~」(その2)
2014年11月13日
みなさん、こんにちは。
さて、本日は、官兵衛の話・・・第2弾です。どうぞ、お楽しみください
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、豊臣秀吉が亡くなり、いよいよ天下分け目の大合戦、関ヶ原の戦いの話になります。
関ヶ原の戦い〔慶長5(1600)年〕では、黒田家は黒田長政が東軍(徳川方)につきました。鍋島家は鍋島勝茂が西軍(豊臣方)について、鍋島家存亡の危機に陥ります。
『佐賀県近世史料 第1編第1巻』によると、実は戦いが始まる前、勝茂の父、鍋島直茂は、黒田如水(官兵衛)とともに、伏見(京都)の徳川家康の館に招かれ密談していたのです。
ちなみに鍋島直茂は、当初上杉攻めのため関東に向かう徳川家康と行動をともにする予定でしたが、家康から黒田如水(官兵衛)とともに九州を守ることを命ぜられたため、後を勝茂に託して帰国したようです。
鍋島直茂と黒田官兵衛は徳川家康とどんな話をして九州に戻ったのでしょうか?
ドラマでは徳川家康と黒田官兵衛との話し合いはどのように描かれるのでしょうか?
そこには鍋島直茂も…と思うと、さらに興味深くドラマをみられる気がしませんか?
佐賀県近世史料のご案内はこちら ↓↓
http://www.tosyo-saga.jp/kentosyo/kinsei/kinseitop.html
「軍師官兵衛と鍋島家との関わり~『佐賀県近世史料』からみる~」(その1)はこちらから↓↓
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e708328.html

鍋島直茂像(公益財団法人鍋島報效会蔵)

佐賀城跡(天守台)
さて、本日は、官兵衛の話・・・第2弾です。どうぞ、お楽しみください

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、豊臣秀吉が亡くなり、いよいよ天下分け目の大合戦、関ヶ原の戦いの話になります。
関ヶ原の戦い〔慶長5(1600)年〕では、黒田家は黒田長政が東軍(徳川方)につきました。鍋島家は鍋島勝茂が西軍(豊臣方)について、鍋島家存亡の危機に陥ります。
『佐賀県近世史料 第1編第1巻』によると、実は戦いが始まる前、勝茂の父、鍋島直茂は、黒田如水(官兵衛)とともに、伏見(京都)の徳川家康の館に招かれ密談していたのです。
ちなみに鍋島直茂は、当初上杉攻めのため関東に向かう徳川家康と行動をともにする予定でしたが、家康から黒田如水(官兵衛)とともに九州を守ることを命ぜられたため、後を勝茂に託して帰国したようです。
鍋島直茂と黒田官兵衛は徳川家康とどんな話をして九州に戻ったのでしょうか?
ドラマでは徳川家康と黒田官兵衛との話し合いはどのように描かれるのでしょうか?
そこには鍋島直茂も…と思うと、さらに興味深くドラマをみられる気がしませんか?

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鍋島直茂像(公益財団法人鍋島報效会蔵)

佐賀城跡(天守台)
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