古賀穀堂の手紙から 1 ~娘への想い③~
2015年08月31日
佐賀県立図書館 at 11:50 | Comments(0) | 佐賀県近世史料
みなさん、こんにちは。
久しぶりに・・・古賀穀堂の手紙シリーズです
古賀穀堂は全国に名の知られた幕末の儒学者であり、佐賀藩校弘道館の教諭、さらには教授(現在の学長)として藩士の教育にあたりました。また、10代藩主鍋島直正の相談役筆頭年寄役として、直正の藩政改革を補佐し大きな影響を与えた人物でもありました。
今回も、前回に引き続き、穀堂の娘「お袖」の嫁ぎ先である成富家にあてた穀堂の手紙を通して、娘への愛情、そして成富家への気遣いについてご紹介します。
前回から少し間が空いたので、これまでご紹介した3通の手紙の概要をお知らせします。
穀堂から娘「お袖」の旦那である成富良左衛門、また舅の作兵衛、さらにはその家族にあてて書かれた手紙には、良左衛門が長崎警備を滞りなく務めあげたことに対するお祝い。また、穀堂の息子〔大一郎(後の素堂)〕が成富家にご厄介になっていることへのお礼。そして、嫁いでいる娘「お袖」が病気を患って、大変迷惑をかけていることを述べ、娘が非常に不憫であることなどが認められていました。
古賀穀堂の手紙から~娘への想い②~
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e718724.html
古賀穀堂の手紙から~娘への想い①~
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e716417.html
今回は、この娘「お袖」が死亡した連絡を受けて書いたであろう穀堂の手紙をご紹介します。
【手紙4】
お袖のことについては、病気の末、養生叶わず亡くなったとのこと、大変驚きました。
皆様方におかれましては、(お袖が)病中の頃よりお心遣いをいただき本当にありがとうございました。私は、良左衛門や大一郎ともこのことについて相談いたしました。
(江戸での)長勤めとはいえ、御無沙汰し、いろいろと行き届かぬことばかりで、今更ですが残念でなりません。
朝吉郎(良左衛門とお袖の子供ヵ)様が丈夫にご成長なされることを、それのみそれのみ祈っております。
お茶講料(御香典ヵ)を少しですが私と大一郎から差し上げます。また、石丸様とそのご家族様には、(お袖が)病中よりお世話になったとのことで、お礼を述べさせていただきます。よろしくお伝えください。
なお、詳細は私の親戚の者たちからお知らせいたします。
8月5日 古賀修理(穀堂)
この手紙は宛先が不明ですが、手紙の所蔵元、内容、さらにこの手紙が仮名を多く使って書いていることから、お袖の姑つまり良左衛門の母親にあてたものと考えられます。
この時、穀堂は52才、お袖(30才前後ヵ)、夫良左衛門32才、お姑さんは66才でした。なお、お舅の作兵衛は4年前すでに他界しています。
手紙に込められた表現は抑えてあるものの、穀堂の悲しみは計り知れないものがあったのだろうと思います。
ところで、お袖が亡くなったのは文政11年7月17日。当時、佐賀と江戸との間の旅には、片道約1ヶ月はかかりました。お袖が亡くなった知らせを受けて書かれたであろうこの穀堂の手紙(手紙4)の日付は8月5日。佐賀の成富家からはお袖が亡くなって、すぐに手紙が発信されたはずですから、2週間余りで江戸に到着していることになります。つまり成富家では、「お袖」の死を一刻も早く江戸の穀堂に知らせるために、早飛脚で知らせたのだと思われます。
これまでご紹介した穀堂の手紙からは、娘に対する愛情、また娘の嫁ぎ先、あるいはご近所さんに対する気遣いなど、現代に生きる我々と少しも変わらぬ思いが見えてくるようです。
ここにご紹介した穀堂の手紙は、現代語に訳してご紹介しましたが、『佐賀県近世史料』第8編第4巻「古賀穀堂」には、原本の写真及びその翻刻文を掲載しています。ご興味のある方はご覧ください。
県内では、各市町立図書館及び公民館等関係機関に寄贈させていただいており、本館では、閲覧のほか貸出も行っております。また県外では、国立国会図書館をはじめ都道府県立図書館の他、関係機関にも寄贈しております。
なお、下記により購入も可能ですので、ぜひご利用ください。
佐賀県近世史料のご案内はこちら ↓↓
http://www.tosyo-saga.jp/kentosyo/kinsei/kinseitop.html
久しぶりに・・・古賀穀堂の手紙シリーズです
古賀穀堂は全国に名の知られた幕末の儒学者であり、佐賀藩校弘道館の教諭、さらには教授(現在の学長)として藩士の教育にあたりました。また、10代藩主鍋島直正の相談役筆頭年寄役として、直正の藩政改革を補佐し大きな影響を与えた人物でもありました。
今回も、前回に引き続き、穀堂の娘「お袖」の嫁ぎ先である成富家にあてた穀堂の手紙を通して、娘への愛情、そして成富家への気遣いについてご紹介します。
前回から少し間が空いたので、これまでご紹介した3通の手紙の概要をお知らせします。
穀堂から娘「お袖」の旦那である成富良左衛門、また舅の作兵衛、さらにはその家族にあてて書かれた手紙には、良左衛門が長崎警備を滞りなく務めあげたことに対するお祝い。また、穀堂の息子〔大一郎(後の素堂)〕が成富家にご厄介になっていることへのお礼。そして、嫁いでいる娘「お袖」が病気を患って、大変迷惑をかけていることを述べ、娘が非常に不憫であることなどが認められていました。
古賀穀堂の手紙から~娘への想い②~
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e718724.html
古賀穀堂の手紙から~娘への想い①~
http://sagakentosyo.sagafan.jp/e716417.html
今回は、この娘「お袖」が死亡した連絡を受けて書いたであろう穀堂の手紙をご紹介します。
【手紙4】
お袖のことについては、病気の末、養生叶わず亡くなったとのこと、大変驚きました。
皆様方におかれましては、(お袖が)病中の頃よりお心遣いをいただき本当にありがとうございました。私は、良左衛門や大一郎ともこのことについて相談いたしました。
(江戸での)長勤めとはいえ、御無沙汰し、いろいろと行き届かぬことばかりで、今更ですが残念でなりません。
朝吉郎(良左衛門とお袖の子供ヵ)様が丈夫にご成長なされることを、それのみそれのみ祈っております。
お茶講料(御香典ヵ)を少しですが私と大一郎から差し上げます。また、石丸様とそのご家族様には、(お袖が)病中よりお世話になったとのことで、お礼を述べさせていただきます。よろしくお伝えください。
なお、詳細は私の親戚の者たちからお知らせいたします。
8月5日 古賀修理(穀堂)
この手紙は宛先が不明ですが、手紙の所蔵元、内容、さらにこの手紙が仮名を多く使って書いていることから、お袖の姑つまり良左衛門の母親にあてたものと考えられます。
この時、穀堂は52才、お袖(30才前後ヵ)、夫良左衛門32才、お姑さんは66才でした。なお、お舅の作兵衛は4年前すでに他界しています。
手紙に込められた表現は抑えてあるものの、穀堂の悲しみは計り知れないものがあったのだろうと思います。
ところで、お袖が亡くなったのは文政11年7月17日。当時、佐賀と江戸との間の旅には、片道約1ヶ月はかかりました。お袖が亡くなった知らせを受けて書かれたであろうこの穀堂の手紙(手紙4)の日付は8月5日。佐賀の成富家からはお袖が亡くなって、すぐに手紙が発信されたはずですから、2週間余りで江戸に到着していることになります。つまり成富家では、「お袖」の死を一刻も早く江戸の穀堂に知らせるために、早飛脚で知らせたのだと思われます。
これまでご紹介した穀堂の手紙からは、娘に対する愛情、また娘の嫁ぎ先、あるいはご近所さんに対する気遣いなど、現代に生きる我々と少しも変わらぬ思いが見えてくるようです。
ここにご紹介した穀堂の手紙は、現代語に訳してご紹介しましたが、『佐賀県近世史料』第8編第4巻「古賀穀堂」には、原本の写真及びその翻刻文を掲載しています。ご興味のある方はご覧ください。
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なお、下記により購入も可能ですので、ぜひご利用ください。
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佐賀県近世史料第10編第7巻
佐賀県近世資料執筆委員会(H30.7)
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スペシャルおはなし会&《5月8日閲覧・貸出・販売開始》佐賀県近世史料(H30.4)
佐賀県近世史料が出来上がりました!!(H30.3)
平成29年度佐賀県近世資料執筆委員会(H29.6)
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